最終話 「無間」   (作・ふなと)
 

 人が生きていく上で、何度も遭遇しその度に頭を悩ませるのは、「幾つかの選択肢の中から一つを選ばなければならない」という状況である。
 この状況ののっぴきならない所は、その選択に掛けられる時間が有限であるという点である。
 人生における全ての選択は、たとえどんなに些細なものであっても未来の自分に影響を与える。だから、その選択が重要であるほど、じっくりと考えてから決定を下さなければならないのだが、実際問題として常にそうもいかないのが人をいっそう悩ませるのである。

 だから、人生から「選択を迫られる状況」というものがなくなってしまえば、どんなにか楽だろうと時々は思うのだが、なくなったらなくなったで寂しく感じるのが人間の性というもので、自分の選択の余地のない人生が果たして楽しいものだろうか、という疑問が湧いてくるのである。

 さて、紗弥香もこのとき、間違いなくこの「選択を迫られた状況」というものに置かれていた。
 ケンジに会いに行くか、それともタカちゃんに会いに行くか。はやく決めなければと焦れば焦るほど迷い、迷えば迷うほどに動き出すことができず、ただ改札口に立ちつくすことしか出来なかった。
 立ったまま微動だにしない彼女の横を、何人もの人がいぶかしげな目で見ながら通り過ぎていったが、声を掛けるものはひとりもいなかった。多くの人が行き交うコンコースで、彼女ひとりだけが、「選択」という無間地獄のなかで完全な孤独にあった。

 それからずいぶんと長い時間が経ったが、彼女はまだその改札口に立ったまま一歩として動いてはいなかった。
 時間が経過するうちに、微動だにしなかった彼女の細胞組成は、いつしか植物のそれとなり、彼女は立派な木になった。地下鉄コンコースのさらに地下深くに根を下ろし、幹は天井を貫いて、地上からでも人が見上げるほど高いところに枝葉を付けていた。

 奇妙な生え方をした巨木はこの地下鉄駅の名物となり、毎日多くの見物客を集めた。その中に、木の声を聞くことの出来る者は誰もいない。だがもし、その木が語ることが出来るとしたら、何を語るのだろうか。「選択を迫られる」という苦しい状況から解放された喜びか、あるいは自分で選択をする余地のない人生(木生)に対する嘆きなのか?

 

おわり

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