第1話 「トライアングル」   (作・かめ)
 

 

「私、レズビアンなの。」

明け方、愛子は俺の腕に包まれたままでそう呟いた。
彼女が何を言ったのか理解するのに少し時間がかかった。その言葉の表面的な意味を理解してから、俺は聞いた。
「それってつまり、バイセクシャルってこと?」
「いや・・。私、女の人しか愛せないの。」
彼女の返事は、俺の理解を超えていた。
「あの、俺は男なんだけど?」
「・・うん。わかってるよ。」
彼女が俺を男だとわかってるってことは、わかってる。そういうことじゃない。
彼女はふざけて言っているのかもと思ったが、どうやら真剣なようだ。
俺に理解できたことは、とにかく俺と彼女の間には面倒な問題が横たわっているらしいということだけだった。
 

愛子は同じバイト先で働いている子だった。
最初は可愛いけどガードが固そうな子という印象だった。一緒に働いているうちに少しずつ親しくなり、何度目かのデートで俺から告白して付き合うことになった。
そして今日始めて彼女が俺の家に泊まり、俺たちは初めて体を合わせた。
そんな幸せな日の明け方に、彼女の告白はまさに晴天の霹靂だった。
 

愛子は生粋のレズビアンで、今までは女性としか恋愛経験が無かったそうだ。
しかし、自分自身それではいけないと思い、最近になって男の人と付き合うように努力し始めたらしい。

「けど、あなた以外の男の人とはどうしても恋愛できなかったの。どうしても、嫌悪感があって・・。ただ、あなたは違った。あなたとなら一緒に居ても平気だった。」
「あー、俺が男っぽくないから?」
「うん・・それもあるかもしれない。」
男っぽくないという意見に簡単に同意されてちょっと心外だった。
「あなたは繊細だし、優しいから。あなたとなら、これからも付き合い続けれる気がするの。」

彼女が本当はレズビアンだということは、後々面倒な問題が発生するかもしれない。だが、彼女が付き合い続けられる気がするというのなら、それを信じようと思った。
あんまり深く考えるのは面倒だし、彼女が自分を変えようと努力しているのは応援したい。そして何より、俺の力で彼女を変えてやりたい気持ちが強かった。

「それじゃあ、これからも俺と付き合ってくれるんだね。」
「うん、こんな私で良かったら。」
「時間がかかってもいいから、ゆっくり愛し合っていこう・・。」
そう言って俺は、愛子の頬にキスをした。

 

愛子がレズビアンであるという告白を受けた日から2週間後、突然家に一人の女がやってきた。

その女は俺が愛子の彼氏だということを確認すると、彼女を返してと怒鳴ってきた。
俺は、もうすぐ愛子もここに来るからそれまで待ちましょうと言い、彼女を部屋にあげてお茶を入れてあげた。
そして、彼女と面と向かい合って座った。
「で、キミは彼女のなんなの?」
「・・恋人です。」
彼女が家に来た時点できっとそうなんだろうとわかっていたが、改めて聞くと違和感があった。
「それで、彼女を返して欲しい、と。」
「彼女が私と別れたいって言い出したんです。あなたのせいです。」
そう言って彼女は俺を睨みつけた。俺は一瞬そんな彼女に見とれてしまっていた。
「だからって俺のところに来られても・・。どうするか決めるのは愛子だよ。」
気を取り直して俺がそう言うと、彼女はすねるようにうつむいて言った。
「そうだけど・・でも、あなたが居なければ愛子は離れていったりしなかったわ。それに、彼女は男のことなんて愛せないのよ。後で絶対に後悔する。」
彼女は部屋に入ってきたときの勢いとは一転して、今度は泣きそうになっていた。俺はそんな彼女を見ながら、こんな子をレズビアンにしておくのはもったいないと思った。
透き通るような白い肌に大きな目が印象的な整った顔立ち。きっと女性からも男性からもモテるのだろう。彼女は、非の打ちようが無いほどにきれいで魅力的だった。
「とにかく、話は愛子が来てからにしよう。」
「・・わかった。」

怒鳴ったり睨みつけたり、泣きそうになったりしおらしい所を見せたり、彼女はこの部屋に来てからのほんのちょっとの間にいろいろな表情を見せてくれた。
きれいな顔に似合わず感情的な子だ。愛子を失うかもしれないという不安のせいもあるのだろうが。
俺は、そんな不安定な姿を見て、彼女に興味を持ち始めていた。
「ところで、キミ名前はなんていうの?」
「・・詩織。」
その時、チャイムが鳴って愛子が部屋に入ってきた。

部屋に来ている詩織を見て、当然愛子は驚いていた。
「まあ、とりあえず座りなよ。」
どうして良いか戸惑っている愛子に、俺は言った。
俺の左隣に愛子が座り、そして正面には詩織がいる。奇妙な三角関係が成り立った。
「私、愛子のこと諦められないわ。」
口火を切ったのは詩織だった。
「愛子が私以外の人を好きになって、それで私から離れていくってのは仕方ないと思う。誰が誰を好きになるかなんてわかんないし。でも、相手が男の人だなんて納得できないわ。愛子が男の人を好きになるなんて、できるわけ無い。」
「でも、彼は違うわ。彼なら大丈夫なの。私、初めてなのよ。男の人に抱かれて幸せな気分になれたのは。」
俺は、そんな二人のやりとりを聞きながら不思議な気持ちになっていた。なんで俺が他の女と彼女を取り合ってるんだ?
「彼と寝たの・・?」
「ええ。・・寝たわ。ちゃんとHできた。感じた。」
愛子がそう言うと、詩織は本当にショックを受けたようで黙ってしまった。うつむき、また大きな瞳に涙を溜めている。

そんな詩織を見て、俺はやはりもったいないと感じていた。
どうにかして、彼女にも男性を愛せるようになってもらいたい。いや、俺が変えてあげたい。自然とそういう気持ちになっていた。
少しの沈黙の後、うつむいていた詩織が顔をあげて言った。その瞬間、溜まっていた涙が溢れて流れた。
「じゃあ愛子は、もう私のこと好きじゃないのね。私よりも、この男のことが好きなのね。」
「それは・・・」
愛子が口篭もった。それは、きっと彼女は今でも詩織のことが好きだからだろう。二人のやり取りをみながら、俺はそう感じ取っていた。
「愛子。」
今まで静観していた俺の言葉に、二人がこちらを見た。まるで二人とも、今ここに俺が居たことを忘れていたみたいに驚いた仕草だった。
「愛子が俺と付き合っているのは、愛子が自分を変えなきゃって思ってるからだろ。確かに俺は、愛子から愛されたいと思うし、俺自身は男が女を愛することの方がずっと自然なことだと思ってる。」
俺は、だから男を愛するべきだと言いたかった。けれど、そう言ってしまうことは詩織に対してフェアじゃない気がして言えなかった。
「けど、無理して自分の気持ちに嘘ついてまで男の人を好きになろうとしなくてもいいんじゃないかとも思うんだ。愛子がどうするべきなのかを自分で考えて答えを出すべきだと思う。」
「でも・・・。」
「自分の気持ちに素直になって、ゆっくり考えて。愛子がちゃんと考えて出した結論なら、俺は異論無いから。」
それは、目の前に居る二人の女性を傷つけないために注意して言葉を選んだ結果、出てきたセリフだった。本当はやっぱり愛子は俺を愛すべきだと思っていたし、もし詩織の方を選んだとして異論が無いわけは無かった。

その注意して選んだ言葉が効果的に働いたのか、愛子は俺を選んでくれた。
「ごめん、詩織。やっぱり私、彼と付き合い続けるから。だから・・・」
「・・わかったわよ。けど・・・」
それだけ言って、詩織は立ち上がり俺を睨みつけた。
そして、「けど」の続きは言わずに彼女は部屋から出て行った。

つづく

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