第3話 「ナチュラル」   (作・沢崎ミケ)
 

 

 俺と詩織は、檻の前でぼんやりとシマウマを見ていた。
 檻の中では、白と黒の縞々の体をした一匹のシマウマが、のんびりと草を食べている。

 俺は、こんな奇妙な動物が緑の草原に居たら逆に目立つんじゃないかという気がした。しかし、野生の動物は色覚が優れていないので、サバンナではこれで十分に保護色になっているらしい。

「ねえ。シマウマって、もともとは何色だったんだろう。白かな。黒かな」
 俺は、何とか話題を探そうと、そんなどうでもいいことを言ってみた。
 すると詩織は、「黒」と即答した。
「・・え、そうなの?」
「地肌は濃い茶色。見た目は白地に黒の縞がついてるように見えるけど、毛のない部分は黒なんだから、もともとは黒って考えるのが無難だと思う」
「へー。・・・詩織さんって、物知りだね」
 俺がそう言っても詩織は何も答えず、俺を無視するようにぷいっと次の檻へと向かってしまった。
 ・・なんだかなあ。これ、デートって言えるのかなあ。


 先日の詩織と愛子の提案で、俺は詩織とデートをすることになった。今日は土曜日で天気も良かったので、休日デートの定番である動物園に来ているのだ。

 詩織は待ち合わせ場所で俺と会ってから、にこりともせず、歩く時も少し距離を置いている。会話も必要最低限のことしか話さず、さっきのシマウマの話が、今日詩織が話した一番長い言葉だったくらいだ。
 まあ、もともと詩織は俺のことを敵視していたのだ。いきなり普通のカップルみたいにデートしようったって、無理だろうけど・・。

 俺はそんなことを考えながら、少し斜め後ろから詩織の横顔を眺め、その白い肌と大きな黒い目に見とれてシマウマ。見とれてしまった。

 しかし見とれてしまうのも仕方無いほどに、詩織はきれいだった。実際に、動物園内を歩いていても周りからの注目を浴びるほどだった。俺と詩織が通ったあとに男たちが振り返る空気を感じるたびに、俺は少し優越感を感じていた。
 まあ、傍目にはとてもカップルとは思えないほどに俺たちは離れて歩いているのだけれど。・・・もしかしたら、俺が美少女の後を尾行ているようにも見えるかもしれない。

 そんなことを考えながらぼんやり詩織を見つめていると、俺の視線に気づいたのか詩織が急に立ち止まり振り向いた。そして目が合った俺のことをじっと睨むように見たので、俺は思わず目を逸らしてしまった。
 目を逸らして足元の辺りを見て平静を装っている俺に、詩織は言った。
「・・お腹すかない?」
「・・ああ、そうだね。どこかでご飯食べようか」
 俺が、レストランはどこにあったかなと考えていると、詩織は手に持っていた大きい包みを差し出して言った。
「お弁当作ってきたから、どこかで食べよう」
 詩織はそうぶっきらぼうにそう言って踵を返し、すたすたと近くのベンチへと向かった。
 俺はそんな詩織をぽかんと見つめていたが、ふと我に返り、後についていった。

 詩織の作ってきたお弁当は、サンドウィッチにから揚げやウインナーという動物園に持っていく定番お弁当!といった感じのものだった。

「すごく美味しいよ。料理上手いんだね」
「・・・・」
 詩織は、俺が話しかけても黙ってうつむいているだけだ。
「あのー・・ちょっといいかな。」
 気まずい雰囲気に息がつまりそうになった俺は、思っていることを素直に言わせてもらうことにした。
「俺が愛子の彼氏だから、俺と仲良くしたくないってのはわかるけどさぁ・・。でも、ずっとそんな風にうつむいて話もしないんじゃあ、男に慣れるために俺とデートするっていう初めの目的が果たされないと思うんだけど・・。」
 俺がそう言うと、詩織は少し悲しそうな目をした。
「・・ごめんなさい。」
「い、いや、別に謝ることじゃないけど。」
 しおらしく謝る詩織に、まるで自分がいけないことを言ってしまった気がして、俺はたじろいだ。
「・・そういうわけじゃないの。」
「え?」
「・・嫌いだからとかじゃない」
 詩織は小さな声でそうつぶやいた。
「・・ただ、緊張してて」
「緊張?」
「男の人とデートしたりしても、何話したらいいかとかわからないから・・」
 詩織の頬は、真っ赤になっていた。

 それを見て、俺は思わず声をあげて笑ってしまった。
「あはは。そうだったんだ。」
 笑っている俺を見て、詩織はちょっと怒った顔をした。
「ああ、ごめん。笑い事じゃないよね。・・ただ、なんか面白くてさ。」
「・・どうせ、あなたみたいな人から見たら、たかがデートくらいでって思うんでしょうけど・・」
「いやいや、そうじゃないよ。・・そうじゃなくて、俺が嫌われてるせいで詩織さんが素っ気無いんだと思ってたからさ。そっかぁ、俺の勘違いだったんだーって思ったら、おかしくて。」
 俺は、詩織が男に慣れてないということは知っていたけど、どう接していいのかわからないほどだとは思っていなかったのだ。まさかまともに会話も出来ないほどに緊張していたなんて、思いもよらなくて笑ってしまった。
「・・・それに、詩織さんってもっと気の強い子かと思ってたからさ。ほら、いきなり家に怒鳴り込んできたりしてたから。・・あの時は、ちゃんと俺と話できてたし。」
「あれは、愛子が男と付き合ってるって知って気が動転してたから・・。」
 そう言って詩織はまたうつむき、泣きそうな顔をした。

 ああ、まずい。このままじゃ、余計に心を閉ざしてしまうだけだ。と、俺は思った。
 ・・そうだ、詩織は初めてまともに付き合おうとした男から、デートした時に襲われそうになったのだった。ただでさえどう接していいのかわからない相手にそんなことをされたんだから、男のことを怖がって当然だ。
 なんとか詩織が怖がらずに俺とデートできるように、俺が協力してあげなきゃ。
「だったら・・そうだな。これを、デートだと思わなければいいんじゃないのかな。」
「・・だって、デートでしょ」
「そうだけどさ。ただ、俺のこと男だって意識しないで、友達だと思えばいい」
「・・友達。」
「そう、ただの友達。だったら緊張したり怖がったりする必要なんてないでしょ。ただ、友達と動物園に遊びに来たって思えば、気楽に構えられるんじゃないかな」
「わかった。・・・そう思ってみる」
「気楽に、肩の力を抜いて、深呼吸して・・」
「・・・ふぅー。」
 詩織は言われるままにリラックスしようと、目をつぶって深呼吸をした。俺は、そんな詩織の閉じられた瞳にかかっている長いまつげに見とれていた。

 そして、俺は祈った。どうかこの子が、恐怖心や嫌悪感を抱かずに男性と接することが出来ますようにと。・・・そう心から、祈った。



「で、詩織とのデートはどうだった?」
 動物園から自分の家に帰ってきた俺は、バイトを終えた愛子からの電話を受けた。
「ああ・・・。最初は全然固い感じだったんだけど、徐々に打ち解けて、最後の方は普通に話せるようにはなったよ」
「そうなんだー。良かった」
 そう言ってほっとしたように息をつく愛子の様子が、電話越しに伝わってきた。

 お弁当を食べ終わってからの詩織は、気が楽になったのか俺が何かを話しかけても無視するということはなく、いろいろと答えてくれるようになった。そして徐々に口数も増え、気兼ねなく俺とおしゃべりできるようにまでなった。
「じゃあ、詩織も男の人と付き合えるようになるかな」
「んー、どうだろうね。本人しだいだと思うけど・・・。そこまで男の人に嫌悪感は抱かなくなるんじゃないかな」
「そっか。慎くん、ありがとうね。・・ところで、今は家に帰ってるんだよね」
「・・ああ。」
「今から行ってもいいかな?」
「・・・あー、ごめん。今日ちょっとこれから友達に飲みに誘われてるんだよね」
「そっかー。わかった。」
「明日は一日空いてるから。明日なら会えるよ」
「うん。それじゃあ、明日。また連絡するねー」
「うん。それじゃあ」

 俺は電話を切って、ベッドへと目をやった。
 シーツで胸元を隠し、ベッドの上で上半身を起こしている詩織も、こちらを見ていた。
「・・・愛子から?」
「うん。・・詩織のこと心配してたよ」
「そう・・・」
 詩織はシーツの中にもぐりこみ、仰向けになって天井を見つめながら言った。
「・・私、愛子に悪いことしちゃったね。・・ただ、デートするだけってはずだったのに」
 俺もベッドに入り、詩織の髪を撫でた。詩織の流れるようにきれいな髪は、触れているだけで心地よかった。
「シマウマ」
「・・え?」
「今日、シマウマの話したでしょ。もともとは黒か白かって」
「うん。黒なんでしょ。すごい即答だったよね」
「・・その時、ちょうど私もそのこと考えてたから・・」
「あ、そうだったんだ」
「・・・私ね、その話をした時に思ってたの。ああ、私も白くならなきゃだめなのかなーって。シマウマは、もともとは黒なのに、自分の体を守るために縞模様になった。私も同じように、女の人だけじゃなく、男の人とも普通に付き合えるようにならなきゃ、この世界じゃちゃんと生きていけないんだよなーって。自分の本当の色は黒だーって思ってても、生きてくためには白くもなって、目立たないように、景色に自分を馴染ませなきゃいけないんだって、そんなこと考えてたの。」
「・・・・」
「・・でもね、ほんの数時間前のことなのに、今ではもう全然違う風に思ってるの」
「・・どういう風に?」
「ちょっと前には、自分がそんな風に器用に色を変えられるなんて思ってなかった。私は、もともとどうしたって女の子が好きなんだ。自分の中身の色を捨てて男の人を好きになれるわけなんてないんだからって・・。」
「・・そうじゃなくなった?」
「・・今では、自分のもともとの色が何色なのかも・・・・わからない。・・ずっと黒だって思ってたのに、本当は違ったのかもしれない。」

 俺は、詩織の言ったことを少し考えた。自分のもともとの色。表面から見ただけじゃわからない、もともとの色。
「シマウマは、きっと自分のもともとの色なんて知らないんだ。ただ、生まれてきた時に与えられた縞々の体があるだけで・・。それと、同じだよ。自分のもともとの色なんて、考えたってわからないし、わからなくてもいいことなんだと思うよ。ただ、今の自分の気持ちに逆らわずに、自然にいればいいと思う。」
 そう言って俺は、詩織の顔を覗き込んで優しく笑いかけた。
「・・愛子が言ってたこと、今ならすごく良くわかる。」
 詩織は、俺の目を見つめた。
 その目は大きくて愛らしくて、俺は吸い込まれるようにキスをした。唇を離すと、詩織はつぶやいた。
「・・・慎くんなら、大丈夫。」
「・・そう。」
 そして、もう一度俺たちは抱き合い、お互いの体を求め合った。

 俺は詩織のぬくもりを感じながら思った。確かに、これは、ちょっとまずいことになってしまったかも。と。
 ただ、今の自分にはこうするしかなかったのだ。詩織の男嫌いを治すためにというよりも、何より自分自身が、どうしようもなく詩織にひかれてしまったのだ。



つづく

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